「備前屋」の「備前」について

資料が残されているわけでは無いのですが、一説によれば、当店「備前屋」の「備前」は、創業(天明二年/1782年)当時岡崎城内にあった「備前曲輪」を由来としたものと思われます。
「備前曲輪」は図の丁度真ん中あたり、岡崎市康生通西2丁目あたりになります。
備前曲輪の「備前」は、江戸幕府初代将軍徳川家康に仕え、戦はもとより関東支配に多く貢献した「伊奈忠次」の官職「備前守」を由来とするものです。
伊奈忠次は幡豆郡小島城(現在の西尾市)城主の嫡男として生まれ、徳川家康に仕えて関東移封にともなって関東の新田開発、河川改修を勧め、武士庶民の産業振興に貢献しました。各地に残る備前渠や備前堤と呼ばれる運河や堤防はいずれも忠次の官位「備前守」に由来しています。(参考:Wikipedia「伊奈忠次」)
当店は備前国(現在の岡山県)との関係は特にございません。