「壷しるこ」の壷はお茶を詰める壷で、将軍家献上茶を入れた壷をモチーフにしています。
将軍家に宇治茶を献上するため、江戸から茶壷を持って宇治へ東海道を通り、将軍家献上銘茶を詰めて、宇治から江戸へは中山道から甲州街道を通ったと言われる「お茶壷道中」は、東海道岡崎宿も通りました。
片道一月ほどの行程で、4月~5月頃岡崎宿に立ち寄り、御馳走屋敷で休憩されたそうです。
岡崎藩からも家老が出向いて丁寧にもてなしたという記録もあります。
当時、御茶壷道中は大変格式が高く、御三家であっても道を譲り、駕籠を降りて待たねばなりませんでした。
街道筋の庶民は庶民はその権威を恐れ、戸を閉め息を潜めて行列が通過するのをただひたすら待ったと言われ、岡崎宿のメインストリートに面した当店も同じようにしていたと思われます。
御茶壷道中と岡崎市の関わりは、通過しただけにとどまりません。
後に宇治で献上茶を製造していた宇治茶業頭取の「上林家」の「上林竹庵」は、武士として家康公の命で三河の土呂に知行を与えられ、一向一揆からの復興に尽力しました。
その際、土呂茶として茶の栽培も家康公より命じられ、奨励したそうです。
後に茶師として宇治に戻ったが、関ヶ原の戦いの前哨戦とも言える伏見城の籠城戦の際、家康公のご恩に報いるためと鳥居元忠と一緒に籠城し討ち死にしたとのこと、御茶と岡崎の地を介した深きご縁でありました。
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